2008.8.17 「ウレシ、タノシで生きるには。」
「人生を楽しく愛に満ちたものにするにはどうしたらいいでしょうか。」
「人生を楽しく生きるには、本来の自己の面目の想いを信じて、その通りに行動することが大切です。
しかし、人間は長い間、自分自身(本来の自己の面目)から発せられる 『直感的想念』 を、無視するかのごとく、気にもかけずに、 『永遠なる宇宙的実在である本来の自己の面目』 をないがしろにして、生きて来ました。
そして、永年の体験を通して、あまりにも近視眼的にモノを見たり、相対的にのみモノを見ることを続けたので、『太極的にモノをみる』、 『内なる自己本来の面目を生きる』 、という本来の生き方や目的を忘れてしまったのです。それで、人間は陰陽、善悪、優劣、勝負、正義不義、等という二分法の枠組みを造り、それに合わせて比較、競争、闘争、破壊の社会構造でしか、生きられないようになってしまいました。
従って、常に人は、この基準に適合できなければ、自分や他の人々を 『裁く』 という形を取ってきました。このようにして、自分自身(内なる自己の面目)から発せられる 『直感的想念』 を無視して、人間のつくりあげた社会常識のみで 『人間の存在価値』 さえも裁いてきたのです。
このスタイルは古代より連綿と引き継がれ、人間の考え方として定着し、今日に至っています。
これが何を意味しているのか考えて見て下さい。それは、自分ではなく、世の中の他の人々に認められなければ、自分の存在価値が無きに等しいということを意味しています。
そして、それは本来の 『自己の面目』 を無視することを意味してもいます。
ところが、あなたは本能的に 『自己本来の面目』 に基づいて生きられる存在だったはずです。
『自己本来の面目』 をそのまま生き抜くことこそが、あなたの人生の目的でした。
それが自己への信頼でした。自己への信頼があるからこそ 『怖れ』 がなく、自分の本心から想うことを表現できるのです。
『怖れ』は自己に対する信頼を失うという 『愛の欠如』 から生まれるものです。
ですから、人生を楽しく愛に満ちたものにするには 『内なる自己の面目』 から来る 『直感的想い』 を素直に表現し、それに則って行動していくだけでいいのです。」
「内なる自己の面目を素直に表現し、行動するとは、どうすることですか。」
「あなたという存在は元来、 『自己本来の面目』 が持つエネルギーとしての存在です。
あなたが自己を表現するということは、内側から絶えることのない内なる自己のエネルギーがほとばしり出るという意味です。
誰にも、何にも制限を受けず、自分の想いを歓んで表現できる自由こそ、楽しく愛に満ちた生き方の基本なのです。
自分の想いを想い通りに 『恐れることなく』 行動に移せばいいのです。
内なる自己のエネルギーは、創造するエネルギーであり、生命エネルギーでもあります。
ですから、内なる自己への信頼が失われれば、当然のことながら『自信をなくし』、そのエネルギーで創りあげている自分の現実は、何事も前向きには考えられず、消極的になり、病気がちになり、すべてにネガティブになるのです。」
「内なる自己への信頼の喪失などというと、実生活においてはどういうことになるのか解りにくいですが、たとえばどういう場合があげられますか。」
「常に人一倍、世のため、人のため、親のため、子のためと、我が身を削って努力し、忍耐し、頑張り、祈り続けても、自分の期待とは全く逆の結果しか現れないことは、ほとんどの人々が経験しているところでしよう。
このように、内なる自己からの要望ではなくて、自己以外の命令に従い、他者の期待に応えようとする真面目な人ほど、苦しい想いをすることが多いというような場合があげられるでしょう。
逆に一見、わがままそうな人たちを眺めて見ると、何となくその人たちはいつも元気そうで病気一つしない、冗談のように言いたいことも言いながら、周囲の人達からは嫌われている風でもないという感じで、羨ましく思ったことはありませんか。
それは、いつも言いたいことを遠慮して我慢している人たちにとっては、納得いかないことかも知れません。
それで『どうして私ばかりがこんな想いをしなければいけないのか』とすべてに嫌気が差しているひともあるでしよう。
それは、我慢して自己本来の面目を表現できない人にとっては、自由に自己表現している人の姿は 『わがまま』 にしか映らず、 『自分はもっと他の人々に認められてもいいはずではないか』 と思う気持ちが、 『こんな現実は信じたくない』 という気持ちに変わり、 『こんな自分にはまるで価値がない』 と自分を嫌いになって行く場合に発展することが多数あります。
そして、この場合、その原因を自分以外の所に置きたくなり、誰かのせい、環境のせい、時代のせいでこうなったのだと考えるようになります。
このようになると、被害妄想が雪だるまのように脹れあがり、坂道を転げるように自分のエネルギーが低下するのです。
すると、そのことに気づかせるために、自分の魂は自分によく似たタイプの人を周囲に引き寄せるという仕組みになっていますから、不幸な想いをしている人たちばかりが近くに集まってきます。
そうなったら 自分の人生を楽しく、生き生きと輝かせる源は、 『自分自身の直感を信じて自分のために行動すること』 にあったということを思い出してください。
しかし、 『自分のために行動する』 とは感情的な発言や行動を取るという意味ではありません。感情的になるのは自分の考え方を否定される『怖れ』の現れです。
自分の想いを歓んで表現できる自由こそ愛に満ちた生き方なのだと言っているのです。」